*最近よくご質問をいただく、スペイン・ラテンアメリカに住むことになったきっかけ&体験談です。
以前、別の場所に投稿した記事をできるだけそのまま転載しています。
延々と続いたサトウキビ畑が少し途切れると、山羊と馬が数頭見えた。
子供たちの歓声が聞こえてくる。
念願のドミニカ共和国の “球場”で
殺風景な空き地だが、ちゃんと金網のバックネットも、石を並べたベンチもある。
山羊や馬がつながれていた木製の柵は外野フェンスだった。
「いやぁ、名前なんてないけどね」
セサール・アルカラさん(38)は笑った。
「でも野球場だよ。地区の名前を取ってインビセア球場かな。
チーム名はBravo(勇敢な)さ。強そうだろ」
監督である彼は、選手たちに練習開始のダイヤモンド1周を命じた。
カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の東3分の2を占める、ドミニカ共和国。
日米のプロ野球に多くの選手を送り出すこの島を、初めて訪れたのは1997年1月だった。
大リーグのゆりかご「サン・ペドロ・デ・マコリス」
首都サントドミンゴから東へ車で1時間半。
「大リーグのゆりかご(La cuna de peroteros de grandes ligas)」と言われる、San Pedro de Macoris(サンペドロ・デ・マコリス)。
野球の盛んなこの国でも、最も多くのメジャーリーガーを生み出す町。
人々の自慢でもある。
「日本